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2012/01/24
「人は悲しい生き物」
認知症の人ってね、5分前のことは忘れても
辛い過去は50年経っても記憶から消えないんだよ…

パッと見は認知のカケラも感じないある利用者。
だけど、着実に進行してると説明を受けてたし、
俺自身も完全に業務に携わるようになって感じてはいたけど
どこかで認めたくない部分あったんだよね。
会話にすら不安を感じてた頃に安心して会話が出来た人だし。

今日、トイレの際にいつものように聞き耳立てて
終わったのを見計らって下衣を上げようとしたら
便座に便がベットリ…

直前にトイレ誘導した利用者が便をしてたのに気付かず
変な座らせ方して付着したのかと思っちゃったよ。

けど、下着の中を確認すると便がモロ。

状況を伝えて替えを取りに行くも
「そのまま座っててください」の忠告に返事するも
戻ると自分で拭き取ろうとするも上手く出来ずに
むしろ汚れは広がる一方…

その状況に酷く落ち込んで何度も謝罪された挙げ句
「アンタの両親に申し訳が立たない」とまで言われた。

確かに忠告を破ってイジってた時は
「勘弁して〜」って気持ちもあったよ。

でも、便漏れしたことや便の拭き取り方は分からなくなってるのに
「粗相をした」ってことだけは分かる。

人って、何て悲しい生き物なんだろうな…

いや、責めたってしゃーないもん。
「気にしないでください」
「これが仕事なんですから」等、
俺に出来る限りのフォローはしたつもり。

でも、俺が何か失敗してフォローされても
「だけど…」と引きずるのと同じ。

人って、忘れたいことは忘れられないんだよね。

幸か不幸か、自分の祖父母はみんな
認知に至る前に亡くなっちゃったけど
本人同様に子や孫も受け入れ難いよね。
俺だって自分のじーちゃん・ばーちゃんのそんな姿は見たくなかったし。

でも、どんなことにも通ずるけど全ては
「受け入れる」ことから始まるんだよね。

自分のじーちゃん・ばーちゃんではないけど
一介護職に従事する者としてはもちろんのこと、
自分のじーちゃん・ばーちゃんに置き換えて受け入れていかなきゃね。

利用者だって辛い現実を受け入れいかなきゃいけないんだから。
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そこはさらに
「いつか訪れるかもしれない自分の未来の姿」
としてより深く考えるべきところですな。

そして、もしいずれ自分がその姿になった時に不快に思われない態度であるか否か…。

「仕事ですから。」
って言われると、自分なら「自分のせいで余計な仕事を増やしてしまった」とすら思える。
      by  さと  at  2012/01/26 10:22:13
それは俺も常々思ってるよ。
自分自身はもちろん、親にも「近い将来・・・」ってね。
そう思えば手の出る利用者でさえも
腹を立てるよりも「どうやって接したらいいのか」って
自分の技術を上げることが先行するしね。

でも、「仕事ですから」の意見は納得・・・

仕事としてやってると分かってる利用者だから
そうや って答えてたけどむしろ逆だよね。
分かってる人だからこそ気にもするわな。

「人 対 人」ってホント難しい。
どんな専門書にも「良いとされること」は書かれてても
正解は決して書かれてないだろうしね〜
      by  ドラ  at  2012/01/27 21:34:44
ヘルパー2級の勉強をした時に
「認知症になった親の姿を見て落ち込んでる娘にヘルパーとしてどう声をかけるのが適切か?」というのを熱くディスカッションしたねぇ〜。

勿論答えはないよ。だって意見大きく割れたもん(笑)
その人のこれまでどう生きてきたかとか、これまでに何を見て何を感じて生きてきたかによって正しい答えは変動するからね。それをその時に学べたよ。同じ言葉をかけても相手にとっては受け取り方が違うんだってね。
      by  さと  at  2012/01/27 21:59:45
介護に限らず人と人とのコミュニケーションに
「正解」なんて無いんだろうな。
さとも言ってる通り相手が同じだとしても
その時その時で変わってくるだろうしね。
そもそもマニュアル通りにいかないし(苦笑)

でも、そこに悩む反面でそこが楽しいんだろうな♪
      by  ドラ  at  2012/01/28 9:08:48

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