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2011/03/30
「自粛の美学」
なんかさ、「自粛=美学」みたいなもんがある気するけど
精神的に弱ってる時に何でもかんでも押さえ付けたら
気持ちってより沈んでいくもんでない?

ある程度の「空気」は読む必要あるにしても
ライブも野球も花見もお笑いもCMもパチンコ屋も
それぞれに存在意義があると思う。

「不謹慎だ」とか「不謹慎かなぁ」とか
やたら聞き(見)まくるけども
本当に不謹慎な人なんてそうそういないと思う。

「今」を生きたいだけ。
「前」を向きたいだけ。
なのに自分の行動に自信を持てないのも
やりきれなさを感じるなぁ・・・

「自粛」を辞書で引くとこう書いてます。
  自分から進んで、行いや態度を慎むこと。
「自」が付いてる時点で分かり切ってるけど
自分から取る行動であって指示するものじゃないでしょ。
誰かに言われて行った時点で「自分から」ではないし。

いや、昨日・一昨日辺りからニュースにもなってるけど先週末に
「井の頭公園」で花見が禁じられたと知って唖然としたんだよね。

企業や個人単位で自粛をする人がいるにしても
禁止をするのはちょっと違うんじゃないかなぁって。
そりゃ、どんな時だろうと羽目を外す人もいるだろうけど
花見の本来の目的って「日本の美」を愛でることじゃん。
個人的には復興への願いも強まる気さえするけど。

ライブや野球だってそう。
自分が好きだからとか、煽りを受けてるとかだけでなく、
直前でのキャンセルは会場やら人手、機材やグッズ等々、
結構な損害を生むと思うんだよね。
だったら予定通り開催して収益の一部を寄付する方が有効に思える。
「新聞屋さん」が暴走するまではプロ野球の開幕さえ賛成派だったし。

いや、ずっとエゴだと思ってたんだよね。
正に「不謹慎かなぁ」って思ってたんだよね。

でも、直接だったり、アーティスト経由だったりで
被災者の声を聞くこともあるけど開催を喜ぶ人はいても
自粛に「その気遣いが嬉しい」と喜ぶ人を見たことない。

本当のエゴはどっちなんだろ・・・

とりあえず今の「欲しがりません勝つまでは」的風潮は
日本経済の低迷しか生まないように思える。
復興には物的にも心的にも「活気」がキーなんじゃないかな。

不必要な電気の使用は控えた方がいい。
不必要な買い物は控えた方がいい。

ならば
不必要な自粛も控えた方がいい。
って考えがあってもいいと俺は思う。
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