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菜緒子 | 【演劇・映画・ドラマ・本】 | ジョン・B・チョッパー「小説ウルフルズ 青春というのなら」

2009/08/12
「東野圭吾「容疑者Xの献身」」
「キャラメルボックス」による舞台版「容疑者Xの献身」を観てから3ヶ月。 
ようやくその時に購入した原作を読みました(汗)

しかし、「3ヶ月」という期間が舞台に感動したから購入したものの
程よく覚えていて、また程よく忘れていて読み出したら止まらず
あっという間に読み終えてしまった。

ちなみにこれまでも原作ありきの演目は基本的には原作に忠実で
舞台を観る前に読むのも、観終わってから読むのもそれぞれの楽しみがあったが
やや長めの小説だけに多少デフォルメされた部分もあるし、
「セリフ」や「表情」からだけでは汲み取れない心情なんんかも描かれていて
改めて「容疑者X」の行動について考えさせられた。

如何なる理由であれ殺人を犯したのは事実。
しかし、正に「献身」という言葉がピッタリだけど
誰かの為にここまで自分を犠牲に出来るか。
それがどんなに愛する人であっても。

もちろん、自分だって(広義で)愛する人の為だったら
多少の犠牲をはらってもその人の為になるのだったら
とても「献身」とまでは呼べなくても「貢献」くらいはする。

だけど、自分にこれだけ精巧なトリックを考える能力があっても
とてもじゃないけど真似は出来ない・・・

「そりゃ、さすがに殺人は出来ないでしょ」

そんな当たり前の理由ではない。
この「容疑者X」の愛情がそこまで深いものなのか、
はたまた歪んだ愛情なのか、受け止め方は様々だろうけど
所詮は「殺人」「サスペンス」ものなのに読み(観)終えた後に
ココロの温度がほんのり上がった作品は初めてだ。

ん〜。このまま映画版も観るべきか。
それとも原作で留めておくべきか。
これは葛藤だなぁ・・・(苦笑)

容疑者Xの献身 (文春文庫)
東野 圭吾
文藝春秋
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