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2009/05/11
「コトバの重み」
って、結局は「手段」ではなく「気持ち」でしょ。

この前、某アーティストがラジオ今昔物語をしてまして。
昔は投稿と言えばハガキ・封書・FAXが中心だったのに
今はメールが中心になって「時代の流れ」を感じるって。

それと共にこんなことも言ってて。
ハガキ等は割とビッシリ書いてることが多いのに対して
メールは一言に近い文章が結構多いって。

まぁ、メールで投稿するくらいだからそれなりにPCは慣れてる人が多いだろうし、
手書きに比べればササッと打てるだけに逆な結果が出そうだけどね。
そして、全く別ルートで「文章では伝わり辛いから言葉で伝えたい」って話を聞いて。

で、考えてたんだよね。
そういう風潮や思いを伝える一番の術は何かって。

まずは「メールになって文章が短くなった」っての。
俺は「ササッと書ける分〜」なんて言ったけど逆なのかもね。
時間の掛かる手書きはその分、文章の流れを考え、言葉を選びながら書く。
それに引き換えメールって良くも悪くも「気軽」だからね。
余程の場合を除いては手紙等と違ってサラサラと書いて(打って)るかも。

そして「言葉で伝えたい」っての。
確かに文章と違って表情やトーンでもが分かる分、伝わりやすいかもしれない。
けど、文章と違ってココロには残ってもカタチには残らないんだよね。

そう考えるとどっちの方がいいんだろうね。

ただ、タイムリーだから例に挙げると昨日は母の日。
「ありがとう」の5文字を贈った人もいることでしょう。
(俺は花は贈ってもコトバはなし!・笑)

「ありがとう」

これぞ正しく一言だよね。
でも、色んな意味を持つ言葉でもあるし、
シチュエーション次第でラフなものから重みのあるものまで様々。

そう。冒頭に続いて二度目だけど結局は「手段」ではなく「気持ち」でしょ。
そして「手段」は時代と共に変わることがあっても、
「気持ち」は時代が変わろうとも変わらないものじゃない?

少なくも自分は今もこれからもココロの真ん中だけは変えずにいたいね。
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